走り幅跳びが好きでたまらない清水選手。進学、就職、転職…全ての選択が競技のためだった。無我夢中で練習を続くける日々は、彼女にどんな変化をもたらしたのか。

1991年6月22日に神奈川県で生まれたたまちゃん。幼い頃から父親の仕事の都合で引っ越しを繰り返していた。外遊びが大好きで、いつも傷だらけになりながら男の子たちに混じってサッカーをしていた。そんなわんぱく少女が走り幅跳びを始めたのは、中学校で陸上部に入部したことがきっかけだった。

ダンサーにも憧れた少女は 中学で幅跳びに魅せられる

「体を動かすことが大好きでした。小学3年生の時にディズニーで見たダンサーに憧れて、バレエを習ったんですけど、おとなしく踊るのは私には合ってなかったみたい。陸上に出会って、バレエは辞めちゃいました」
走ることが大好きで、周りより足が速い自信もあった。中学1年生の頃に顧問の先生の方針で陸上競技の全種目を1年通して経験する。その中で彼女が選んだのは「走り幅跳び」だった。
「ジャンプに手ごたえを感じたわけではないんです。最初に出た市の大会の種目がたまたま走り幅跳びで、予選通過まであと1センチ届かなかった。すごく悔しくて、次は絶対に予選を通過してやると思いました」
3年生で全日本中学校陸上競技選手権大会4位入賞を果たす。しかし、この結果は彼女にとって少し意外なものだった。
 「全国大会に出られてラッキーくらいの心構えでした。大会当日は雨。多くの選手が調子を崩す一方で、私は雨が気にならなかった。だから周りが勝手に落ちた感じ。表彰台に立てればいいなとは思っていたけど、勝ちたい気持ちはなくて。楽しくて好きだから今後も続けられたらいいなという考えでした」
 中学卒業を機に千葉県に引っ越すことが決まっていた彼女は、周りの勧めで陸上の強豪校・船橋市立船橋高等学校へ入学する。

負けて気づいた 勝利へのこだわり

「入ったらインターハイ(全国高等学校総合体育大会)で優勝争いするような優秀な選手ばかりで、最初は戸惑いました。練習内容もハイレベルだったし、先輩も厳しかった。それでも走り幅跳びが好きっていう気持ちがあったから続けられました」
2年生の時に出場した関東高等学校陸上競技大会で2位に入賞し、インターハイ出場権をはじめて手にする。そのインターハイでは惜しくも入賞を逃し、結果は9位だった。
「私は出場できただけで満足だったけど先生は違っていた。『お前は底力が足りない。勝ちたくないのか?』って怒られて。その時ハッとしました。このときから競技に対して勝つことを意識するようになりました」
翌年のインターハイは見事7位入賞。これで自信をつけた彼女は、トップクラスで戦える選手になるため、スポーツの名門・中央大学への進学を決める。
「6メートル跳ぶという高校時代の夢は叶わなかった。だからあえて練習量日本一といわれる大学を選びました。4年間がむしゃらに陸上をして、引退しようと思っていました」
1年生の秋には早々に6メートルの目標を達成。その後も徐々に力をつけていき、3年生の時には関東インカレ(関東学生陸上競技対校選手権大会)と学生の個人日本一を決める日本学生陸上競技個人選手権大会で優勝する。続く4年生では関東インカレ連覇を果たした。

一度は引退を考えるも 社会人アスリートの道へ

卒業後は走り幅跳びを辞めて、一般企業で働こうとしていたが、就職先の社長の厚意で競技を続けられることになる。
国内最大の大会である日本選手権(日本陸上競技選手権大会)優勝を新たな目標に掲げた。社会人アスリートとして、通常の勤務時間より早く退社し、地元のスポーツクラブで練習する日々をスタートさせたが――。
「走り幅跳びを始めた時からずっと腰のヘルニアに悩まされていた。なんとか競技を続けていたけど、会社に入ってから悪化してしまって、大会に出場できなくなってしまったんです」
これを機に練習をストップ。会社でも徐々に仕事が優先されるようになり、思うように練習ができない日々が続いた。
「引退も考えましたが、どうしてもあきらめきれなかった。競技を続けるために転職することを決めました」

小学校での特別教室 出会いが彼女を強くする

地域の人と関わる仕事がしたいという思いから、日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度「アスナビ」を介して、2015年、城北信用金庫に入庫する。
 「週3回の午前勤務以外の時間を練習に充てています。腰の調子が悪いときはケアに時間を割けるようにもなりました。競技優先にさせてもらえていることがとてもありがたいです」
また、彼女は競技以外の活動にも積極的に取り組む。
「毎年、東京都北区立浮間小学校で生徒を対象に走り幅跳び教室を実施しています。プログラムは自分で考えているんですが、なかなか予定通りにはいかない。だから臨機応変に対応することが大切。教えることの難しさや楽しさを実感しています」
彼女は年に数回、練習や試合、遠征の合間をぬって、地域の皆さまからの依頼でさまざまなイベントに参加する。
「毎回たくさんの人から応援の言葉をかけていただきます。また、走り幅跳び教室で教えた子どもたちからはお手紙が送られてきます。中には『記録が伸びたよ』と書いてくれる子もいて、そういったもの全てが競技への励みになっています」
こういった活動が彼女の強さへとつながっていく。今年の9月にも走り幅跳び教室の開催が予定されている。

今後の目標は日本選手権 自己最高記録で優勝したい

昨年7月に行われたアジア陸上競技選手権大会では初めて日本代表に選ばれ、4位という好成績を残した。
「日本選手権で自己ベストを出して優勝することが直近の目標です。そして2020年夏、走り幅跳びの日本代表として新国立競技場に立ちたい。陸上競技は今しかできないので、これ以上無理だってところまでやりたいですね。今後は国際大会でも結果を残したいです」
トップアスリートへの階段を上る清水選手。最高の舞台を目指し、世界へ羽ばたいていく。

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