力強いパドルさばきで水上を疾走する大村選手。これまで数々の国内・国際大会で結果を残し、今後一層の活躍が期待されている。そんな彼女がカヌーとともに歩んできた20年の競技人生の軌跡を辿ります――。

1989年11月11日に静岡県の自然豊かな町で、3兄妹の末娘として生まれたあーちゃん。体を動かすことが大好きで、一番の遊び相手は2人のお兄ちゃん。毎日サッカーや木登りをして遊んでいた。そんな少女がカヌーと出会ったのは小学校2年生の時だった――。

父の願いは競泳選手 遊びを通じたアスリート教育

「休みの度に父にプールに連れて行ってもらいました。運動好きの父は私たち兄妹を競泳選手にさせたかったようで、かなり入れ込んで指導されました」
他にも、冬はスキー、夏はダイビングを楽しむなど、アクティブな子ども時代を過ごしていた。そんな折、彼女の故郷である静岡県・川根本町が国体のカヌーの開催地に選ばれたことがきっかけでカヌークラブが発足。そのクラブの監督を任されたのが彼女の父親だった。
「私がカヌーを始めたのはクラブができて少し経った小学2年生の時です。私より先に始めていた兄たちによく面倒を見てもらいました。父は競技経験こそなかったですが、私たちを一生懸命指導してくれました」
放課後は兄弟揃って毎日練習場に通った。練習場にいけない日でも体づくりのための筋トレは欠かさなかったという。

15歳にして日本代表入り 日本一の選手になるために

中学生になると、全国中学生大会で2度の優勝を果たし、中学3年生にして、ジュニア日本代表に選出。世界のトップアスリートと肩を並べて活躍するまでに成長した。
高校は地元のカヌー部のある静岡県立川根高等学校に進学し、国体では2連覇を達成。実力が認められ、3年の夏には特別にシニアの日本代表の合宿に参加する。向かうところ敵なしと思われた彼女だったが――。
「日本代表チームとの実力の差を痛感しました。それまでは高校を卒業したらカヌー留学をしようと思っていたけれど、まずは国内で一番になりたいという考えに変わりました」

学業と競技の両立 夢の実現のために下した決断

大学は早稲田大学スポーツ科学部に進学。日本代表の活動に専念できるようにあえてカヌー部のない大学を選んだ。
「海外遠征や長期合宿が多かったので、授業に出られないことがよくありました。遠征先ではいつも寝る間も惜しんでレポートを書いていましたね」
しかし次第に日本代表としての活動が増えていき、授業に出るのもままならない日が続いた。学業とカヌーの両立に限界を感じた彼女は、ある決断をする。
「ロンドン五輪までの2年間を休学して、カヌーだけに専念することを決めました。北京五輪の時はあと一歩のところで出場を逃してしまい悔しい思いをしたので『次は必ず』っていう思いをずっと持っていました」
そんな彼女の強い気持ちは結果にも現れた。10年広州アジア大会で2位、続く11年アジア選手権でも2位に入り、夢の舞台への切符を手にする。
「五輪出場はカヌーをはじめたときからの夢でした。少しでもメダルに近づくために種目を絞って挑みましたが、結果は予選敗退。初めての五輪は悔しい思い出になりました」

新たな目標に向け再スタート 更なる飛躍を求め選んだ変化

その後復学し、大学を卒業。働きながら競技を続けるため、日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度「アスナビ」を介し、15年城北信用金庫に入庫。社会人アスリートとしての新たなスタートを切った。
「アスナビの方からは『競技を続けるための十分な時間と費用を確保できる企業への就職は厳しい』と言われていました。だから、城北信金から声をかけていただいて、今こうして競技が続けられていることにとても感謝しています」
入庫後も日本代表メンバーとして恵まれた環境の中でトレーニングを積んでいたが――。

「16年の夏に日本代表チームから一度離れて、一人の力で頑張ってみることにしました。自分が勝つことをイメージできなくなったことが大きな理由です。リオ五輪の出場権を逃し、ここ何年もベストタイムを更新できていない状態で、東京五輪に出るには変化が必要だと思いました」
これまでがむしゃらに前だけを見てやってきた彼女に訪れたスランプ。自分自身とじっくり向き合うために、日本代表からの離脱を選択した。
「チームを離れたので、練習は当然一人でした。予想はしていたけれど、コーチや仲間がいない練習はとても大変でした。それまでは与えられたトレーニングメニューをただこなすだけだったものが、練習場所の確保や、トレーニングメニューまで、全て自分で考えなければいけませんでした。その分毎日の練習を目的意識を持って、丁寧に取り組めるようになったと思います。離れたからこそ成長できたことがたくさんありました」
約1年半の離脱期間を経て、決意新たに、18年に日本代表メンバーに復帰した。

長い競技人生の節目の時 これまでの自分自身のために

約20年の長い競技生活は決して順風満帆ではなかった。これまで多くの壁にぶつかり、乗り越えてきた彼女が歩む新しい道は――。
「まずは東京五輪の決勝の舞台に立つことが目標です。東京五輪は私の中で一つの区切りと考えています。長い競技人生、今までやってきたことを自分自身のために、ちゃんと生かしてあげたいと思っています」
これまで支えてくれた家族のために、そして自分自身を裏切らないために、再び夢の舞台へ。

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