豊富な運動量とアグレッシブなプレーが持ち味のフォワード、永野元佳乃。
いくたびの挫折を乗り越えて、少女の頃からの夢だったウィンタースポーツの祭典に臨む。

何度も涙を流してきた。何度も挫折を味わった。しかし、そのたびに立ち上がってきた。今、2026年に開催される4年に1度の夢の舞台を目指して、一歩ずつ歩みを進めている。

「2025年2月から始まる予選に、全てを懸けています。難しい大会になると思いますが、しっかり勝ちきって本戦につなげたい。自分の強みを活かして、チームに貢献したいです」

1.2024年2月、留学先のスイスで出場したポストファイナンスリーグにて、向かい合う選手の間にパックを落とす “フェイスオフ”で試合が始まる場面。「日本よりもレベルの高いリーグで、プレーの選択肢の幅がかなり広がりました」 ©Samuel Stähli

難しいほど面白かったアイスホッケー

アイスホッケーを知ったのは幼稚園の頃。地元、大阪府のクラブチームに入ったのが小学校1年生のとき。スケートをしながらスティックでパックを打つのは予想以上に難しかったが、それがむしろ面白かった。
「難しいことにチャレンジするのが楽しくて夢中になりました。初めてゴールにシュートを決めた爽快感は今でも覚えています」
世界最大のウィンタースポーツの祭典を見て、自分も出場したいという夢を抱いたのは8歳のとき。ここから永野元選手の人生は大きく動き出していく。

2.初めてユニフォームを着て試合をした小学1年生。「楽しみより緊張が勝っていました」3.19歳から所属する『SEIBUプリンセスラビッツ』。2024年、女子リーグと全日本選手権ともに優勝を飾った

高い競技レベルを求め、中学2年生で父以外の家族4人で北海道苫小牧市に移住。同年、女子アイスホッケーの名門チーム、三星ダイトーペリグリン(現・道路建設ペリグリン)に入団する。チームには日本代表選手が何人もいてレベルの差を痛感したが、夢に一歩近づいたワクワク感のほうが大きかった
「最初は必死でしたが、中学、高校の頃は無限に体力があったし、毎日他の選手の倍は練習していたので乗り越えられました」
言葉のとおり、スピードと豊富な運動量を活かしたアグレッシブなプレーが持ち味。中学3年でU18日本代表に選ばれ、憧れだった代表のユニフォームに袖を通した。高校3年でアイスホッケーの本場、カナダのオンタリオホッケーアカデミーに留学を決断。そして当時チーム最年少の18歳で日本代表に選出される。
2018年の夢の舞台への最終予選は3連勝で見事突破。夢に手が届きかけていた。

まさかの代表落選

しかし、思いがけない知らせが届く。代表落選。大舞台に立つことは叶わなかった。
「予選では結果を出せていたのですが、その後の国際試合で活躍できませんでした。結果を残せなければ出番が減り、焦ると結果が出ない。悪循環でした」
19歳だった永野元選手は泣き続けた。
「これまでは若さによる爆発力をアピールしていましたが、もっと自分の強みを探す必要を感じました」
ここから永野元選手は、自分の強みを探し求める迷走期に突入する。

21歳、日本代表に再選考されたものの、持ち味を発揮するには至らなかった。さらに23歳のとき、甲状腺の病気であるバセドウ病を発病。運動を禁止されて治療に専念した。3か月で復帰したものの、休んでいたブランクを埋めることができず、2022年の夢の舞台への切符も掴み損ねてしまう。チーム最年少だった永野元選手も就職活動をする年齢を迎え、競技を続けるかどうかの岐路に立っていた。
「競技をやめるかどうか悩みました。でも、シーズンが再開して久しぶりにアイスホッケーをやったら、すごく楽しかったんです」
アイスホッケーは楽しい。これは永野元選手の原点だった。
「8歳から夢の大舞台を追い求めすぎて視野が狭くなっていました。このとき一気に視野が広がったんです」

自分の強みは、自らが犠牲となってチームメイトを活かすことだと気づくこともできた。一生懸命泥臭いプレーをしようと決めて臨んだ2022年の世界選手権では、スウェーデン戦で大逆転の引き金になった貴重な得点を決めた。迷走期を脱した瞬間だった。
「とにかく楽しかったです。今は試合に出られなかった時期のことを噛み締めながらプレーしています。それがいいプレーにつながっていると思います」

4.2022年開催の世界選手権にて、逆転の引き金になった得点を決めた瞬間。自身チーム最高順位の5位をも記録した、永野元選手にとって最も印象深い一戦 ©IIHF

5.2023年3月に帯広で行われた全日本選手権には、家族と城北の職員が応援に駆けつけた 6/7.アスリート職員として参加した特殊詐欺撲滅運動やSDGs祭り。地元の方と交流を行った

2023年、城北信用金庫に入庫。城北の社会人アスリートとしての強みを活かす方針に強く共感して入庫を決めた。
「入庫前に職員の方が全日本選手権の試合を帯広まで見に来てくださって感激しました。大前理事長には『世界での活躍を期待しています』と声をかけていただき、スイス留学も快く送り出してくださいました」

2026年の夢の舞台へ成長を続ける

スイス留学ではフィジカルの強さと自らチャンスを切り開くマインドの強さを得た。今は2026年の夢の舞台に向けて準備を重ねている。
日本代表の最年少選手としてあどけない笑顔をふりまいていた少女は、今やチームの中心として後輩たちを支える立場となった。
「チームのことを考える時間が多くなりました。実力のある若い選手に負けないよう、成長し続けたいと常に思っています」
今一番大切にしているのは「アイスホッケーを楽しむ」こと。原点を大切にしながら、今また世界の大舞台を目指す。

8.2023年開催の世界選手権。世界ランキング1位のカナダ相手に果敢に挑んだ ©IIHF

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