スピード、華麗さ、正確さ。スキーのあらゆる要素が詰まっている競技・モーグルで、日本代表として活躍を続ける梶原有希。
精神的にひと回り大きくなり、大舞台への出場を目指す。

2026年にイタリアのミラノで開催される4年に1度の冬のスポーツの祭典。梶原選手の大会にかける思いは日増しに強くなっている。
「『出たい』という気持ちがとても強くなってきました。まずは今戦っているW杯で良い成績を出すこと。一つひとつこなしていけば、手が届かないものではないと感じているので、ここからの一年が勝負だと思っています」 すでに代表の選考は始まっている。
「まわりに流されず、どれだけ自分らしさを出していけるかが大事。今はあまり意識せず、明確に見えてきたところで大舞台の目標を立てたいと思います」

初めてW杯に出場してもっと上の世界を目指したくなった

1.自身初の優勝を果たした、2022年全日本スキー選手権大会。「大きい自信になりました」 2.22/23年W杯。海外戦初出場にもかかわらず7位に入賞(第3戦フランス・アルプ・デュエズ 大会) 左から©SAJ令和7承認第00082号、第00081号

三姉妹の真ん中として札幌で生まれた梶原選手。7歳からスキー技術の正確さを競う基礎スキーを始めたが、3歳上の姉がやっていたモーグルがとても楽しそうに見えたという。

「遊び半分でジャンプをしてみたとき、ふだんは味わえないような浮いている感覚がすごく気持ちよかったんです」

姉の後を追うように10歳でモーグルに転向。すぐさま回転技をマスターしてモーグルの虜になった。
通常、モーグルはスピードを出すほどミスが増える選手が多いが、梶原選手はその逆だった。 「私の場合はスピードを出すことで滑りに勢いがついて、コブも速く降りることができました。エアも大きく飛べるようになって、どんどん試合に勝てるようになりました」

すでに日本代表チームに入っていた姉に初めて勝利したのは、中学3年生のときだった。
「姉が泣いているのを見て、勝ったことを実感しました。でも、姉より上手くなったとは思わなくて。ずっと追いかけていた存在であることに変わりはありません」
この頃、totoタレント発掘育成事業による日本代表の育成メンバーに選ばれ、高校入学後、正式に日本代表に選出される。2019年、高校2年のとき、秋田県で開催されたW杯に初出場。17位で決勝進出を逃したが、もっと上を目指したいと思うようになったという。
「W杯で世界のトップ選手を見て、もっと上は楽しい世界なのかな、世界に注目される大会にも出たいな、と思うようになりました」

引退を考えた2023年

キャリアを重ね、初めてW杯の海外戦出場のチャンスをつかんだのは大学3年生のとき。前年に出場した全日本大会では、自身初の優勝を収めるなど好調だったが、海外の壁は高かった。
海外W杯は、12月から翌年3月にかけて毎週のように世界各地を転戦し、ポイントの合計を競うというハードなもの。開催地に到着後、わずか2日でゲレンデやコブなどをチェックして本番に臨まなければならない。肉体的にも精神的にも過酷な戦いだ。
それでも1シーズン目の22年/23年は、2人同時に滑って競うデュアルモーグルで二度の7位入賞という好成績を収めた。エアの大技を磨き、自信を持って臨んだはずの23年/24年の2シーズン目は、始まった途端に追い込まれてしまう。

「調整が難しく、やりたいことがやれないまま試合の日になってしまうことが続いていました。自分の滑りができず、結果も出ない。本当に辛かったです。3戦目のフランス・アルプデュエズの2日目、初めて辞退してしまいました」
試合会場にいたのに、滑れなくなってしまった。日本代表のメンバーに選ばれたこと、城北信用金庫に入庫が内定し、企業の顔として良い結果を残したい気持ちもいつの間にか重圧になっていた。
「前日の練習も精神的にギリギリの状態で滑ったのですが、その日の夜のコーチとのミーティングで、自分でも理由が分からないまま涙が止まらなくなってしまいました」

3.23/24年W杯、第815戦のカザフスタン・、アルマトイ大会にて。第3戦の辞退から奮起し、見事8位入賞 © SAJ令和7承認第00078号

コーチは、1試合休んで次の4戦目から復帰することを提案してくれた。日本にいる姉に国際電話をかけ、思わず「もう辞めたい」と口にした。すでに引退していた姉は「ケガだけはしないで帰ってきて」と優しい声をかけてくれた。
「『休んでいいの?』と思いました。でも、ホッとしたのも確かでした。こんなふうに言ってくれる人がいるんだな、って」
重圧に押しつぶされそうだったが、周囲の声に支えられて、4戦目からは徐々に自分の滑りを取り戻した。3月の第8戦では、デュアルモーグルで8位入賞の好成績を収めることができた。

城北信用金庫に入庫したのは2シーズン目のW杯を終えた2024年4月のこと。競技をしながら社会人生活を送ることができる会社を探して入庫を決めた。
「元アスリートの先輩とお話しして、城北信用金庫の温かい雰囲気を感じました。結果を出すことについても『プレッシャーに感じなくていい』と言ってくださって、安心しました。大前理事長とも面談でお話ししましたが、『合宿やトレーニングの日程を優先していいよ』と言っていただいて、すごくありがたい環境をいただき、本当に感謝しています」

入庫後、アスリート職員として地域の行事にも参加

一歩ずつ着実に進んだ先に夢を見据える

6.2020年全日本スキー選手権大会にて、側転するジャンプ技の『ループ』を決める。人一倍大きく、高く飛べる武器を生かし、2位を獲得した © SAJ令和7承認第00079号

「城北信用金庫に入って、学生のときよりスキーのことを考える時間が増えました」という梶原選手。2026年にはミラノでの4年に1度の大舞台が待っている。今回はデュアルモーグルが新種目として採用され、モーグル種目にますます注目が集まっている。
「ミラノへの出場をかけたW杯では6位以内に入るのが目標です。目の前のことを一つずつクリアした先に大きな舞台があると考えています」
周りの人に支えられてスランプを克服した梶原選手。今は自分らしく滑ることを大切にしながら、一歩ずつ進んでいる最中。その先に大舞台の頂点がある。

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